田舎の課題を価値あるモノに変えて、みんなにお届け!

みんなの村 開村しました!

皆さん、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。

「株式会社みんなの村」の代表取締役村長に就任いたしました、前川進介です。そう、この度「株式会社M&G」から社名変更いたしまして、「株式会社みんなの村」となりました。

「みんなの村」では、田舎の社会的課題を解決していく過程で生まれてくる自然の恵みを、皆さんの元へお届けする事業を行ってまいります。例えば、

・放っておいたら荒廃してしまう山林を整備して、伐採した木から採れる木酢液を使いやすいように精製蒸留してお届けする。

・個体数が増えすぎて農産物へ莫大な被害を出している鹿を、狩猟し、精肉して、さらに熟成させてうま味が増してからお届けする。

・就農年齢の高齢化とともに増えていく耕作放棄地。少しでも村の畑地を活用しようと育てた新鮮な無農薬のお野菜を、栄養価が最も高い旬な時にだけお届けする。

放っておいたら村の困りごとになってしまうけれど、人がひと手間加えることで貴重な資源に生まれ変わる自然の恵みを、「みんなの村」から皆様にお届けしようと思っています。

さてさて、この「みんなの村」事業の設立は、今から1年ほど前に「爽美林」の販売方法において兵庫県庁薬務課から薬事法違反の指導を受けたことがきっかけでした。そこから「みんなの村」の設立までいろいろなことがあったので、今回は私自身の頭の中の整理を兼ねて「みんなの村」が誕生した経緯と、今の世界の中の日本について思うことをしたためようと思います。

 

■横浜での安定した会社勤めをやめて、丹波にUターンした理由

私は今から3年半前に、横浜で勤めていた株式会社ファンケルを辞めて、父親が経営していた株式会社M&Gの後継者としてUターンしてきました。川崎市で生まれ育った妻と、当時2歳の息子を連れて。

周囲の反応は様々でした。

「すごい挑戦やん!がんばれ!」と言ってくれたファンケルの同僚。

「君は必ず失敗する。」私の送別会で、ド胆を抜く手向けの言葉をくださったファンケルのM上取締役。

「え?なんで安定を捨ててこんなとこに帰ってきたん?」と首をかしげる地元の中学校の同級生たち。

まぁ自分の生き方ですから、迷惑さえかけなければ周囲にどう思われようが関係ないんですが、私が安定した会社を辞めてでも、丹波に帰ってこの蒸留木酢液の製造販売を生業にしようと決意した理由は2つ。

① 長男だから(笑)
② 当時会社に送られてきていた「爽美林」をご利用いただいたお客様からの手紙が、とんでもなく感動的だったから。

「先日、息子の水いぼがきっかけで購入いたしました。皮膚科への通院が苦しくて、途方にくれていたところの出会いです。まだ使い始めて5日目です。現段階で無数にあった水いぼの殆どが・・・=薬事法的に中略=・・・というペースです。皮膚科で泣き叫ぶ息子を抑えつけ、ピンセットで水いぼをとり続けていました。本当に苦しくて、でもこれ以外に方法がないと思っていたので、爽美林に巡り合えたことは、ただただ感謝あるのみです。息子が水いぼをうつしてしまった方とアトピーや乾燥肌で悩んでいる方へのプレゼントとして150mlボトルを数点購入させていただきます。」

「病院でピンセットで取られて泣きじゃくる子供たちを見ずに済むので本当にありがたいです。子供たちの笑顔の為にもリピートします。幼稚園のお友達も水いぼで悩んでいるのでサンプルをください。」

「今年はプールには入れないけどその分家のプールで遊ばしてあげる約束をしてるので、来年はみんなと一緒に入れるように力を貸してください。」

「2度目の注文になります。初回にとてもご丁寧なメッセージを書いて頂いており、感激いたしました。暖かいメッセージをありがとうございました。長男の水いぼも、商品を使い始めて2週間目ですが、毎日の爽美林風呂と・・・=また薬事法的に中略= ベランダの植木にも残り湯をやったところ、葉が生き生きピンピンし始めて、主人と驚いています。お風呂場もカビが生えにくくなりましたし、本当に良いことだらけです。サービスでいただきました釜炊き石鹸も、しっとりすべすべになり、香りも懐かしい優しい香りでとても気に入りました。私と次男が肌が弱いので、とても良い商品に出会え、感謝いたしております。商品にとても感動しましたので、感動をお伝えしたくて、長々と失礼いたしました。非常に感謝しております。ありがとうございました。」

「爽美林、いつもお世話になっております♪長い長い水いぼとの格闘が、ようやく終わろうとしています♪♪ ★爽美林を信じてよかった★ 肌に悩みを持たれていらっしゃる方たちの為に、これからも、がんばってください(^_-)-☆」

「長男の水いぼがきっかけで前回初めて購入しました。おかげさまで、次男へ移ることもなく、学校のプールの授業に間に合いました。本当に嬉しかったです!!商品と届いた手書きのご案内にも感動しました。周りから、『とにかく病院に連れて行け』と冷たい目で見られくじけかけた時もありましたが、自分なりに調べた結果、母子ともにストレスの少ない方法がこの爽美林でした。今では、『どうだっっ!』と晴れ晴れとした気分です。ほんと信じてよかった・・・長男も爽美林のお風呂がお気に入りで、匂いがしない日は『ちゃんと入れたの?』と聞かれるくらいでした。長男は、学校のプール開きと共に前から希望していたスイミングスクールにも入会して、楽しく泳いでいます。今回は、爽美林を懐かしむ長男の為にリピートさせて頂きます。爽美林との出会いに感謝です。ありがとうございます。」

 

おぉ、こんなに世のため人のためになってる事業なんや。規模はファンケルとは比べもんにならん位に小さいけど、やりがいは比べもんにならん位にでかいかもな。

そう思って、丹波にUターンして事業承継し、蒸留木酢液の製造販売で生計を立てていました。「爽美林」のご利用者数も徐々に増えて、お客様との関係も良好で、経営も安定してきました。

 

■「爽美林」販売停止 きっかけは東日本大震災

転機は2011年3月11日の東日本大震災でした。
テレビからは信じられない映像が次から次へと流れてきて、「何かしないと!」という気持ちはあるものの、ただ茫然とテレビを見て仕事に集中できない日々を過ごしていました。そんな中、3月末には神戸消防局に勤める弟が福島第一原発3号機への放水作業に出発することに。

「やっぱり行くんか」

化学物質や核物質などの処理を専門としている部署だったので、弟の出動は当然のことではあるのですが、残された家族で食卓を囲んだ時の、何とも言えない暗い雰囲気は今でも覚えています。
(結局弟は福島県に入ったものの、「溜まり水」の影響で放水作業自体はしなかったみたいなんですけどね)

弟がそこまで体を張って頑張ってるのに、兄が何もせんわけにはいかんだろう、と、4月には単身車で東北入りしました。当時は「県外ボランティアは募集していません」みたいな報道がありましたが、そんなアホな話はないだろう、絶対ヘルプが必要やろう、と思って行ってみると、やはりお手伝いすべきことは山積されていました。

一週間ほど活動して、いったん丹波に戻りました。
そこで2つのことを考えました。

①次からは一人で行くべきではない、友人を連れて人数分のマンパワーを東北に送り込むべきだ。
②東北で活動していない日常の業務時間も、何か東北の支援につながることをするべきだ。

① に関してはそのままですね。
せっかく車内に空きスペースがあるのなら、空気を運ばず人を運んだ方が東北の支援につながるわけで。というわけで、2回目、3回目の活動には関西から友人を連れていきました。

② に関して。
「爽美林」の製造販売という自分の生業を通して、東北に寄与できることが何かあるはず。そう思い、以下の支援を考えました。

・被災された方からのご注文に関しては1回限りではありますが、商品代、送料とも無料でお届けいたします。
・「爽美林」30mlを有料サンプルとして254円(ふっこうしえん)で販売し、その売上金全額を東北に寄付します。

これで「人」「モノ」「お金」を東北に送ることができるぞ!
このアイデアは功を奏して、小さいながらもきちんとした支援をする基盤ができあがってきました。

そんな活動をしていると、地元の新聞社2社から取材の依頼がきました。

こんなことを取材するなんて、よほどネタに困ってはるのか(笑)

そんなことを考えながらも依頼を了承して、取材していただきました。

ただし念のため、記事内容に誤りがあってはならないと思い事前に記事内容を確認させてほしいと依頼したところ、A新聞はOK、B新聞はNGとのこと。なぜB新聞がNGなのかわかりませんが、まぁそういうルールで動いてるなら仕方ないか、と軽く見ていました。

 

この判断が大きな誤りでした。実際にB新聞に掲載された記事を見て愕然ですよ。

>主力商品 「爽美林」の売上金全額を寄付!

そ、そんなアホな!(・o・)
主力も何も、「爽美林」しか扱ってへんって取材してわかってんのに、その売上の全額を寄付したら俺らが生きてられへんことくらい気づきませんか?
記事には「のサンプル」というフレーズが抜けてるわけです。常識的な思考回路があれば回避できたミスでしょうね。

おかげでいろんな人から懐疑的に見られました。
中学時代の旧友からも「おまえ新聞見たけど、あれってウソついてへんか?」という疑いの声がかかりました。
「そうそう、あれウソ書かれてんねん。」と旧友には理由を説明して納得してもらいましたが、同じように疑っている人がほとんどやろなー。

と、その予感は的中。
後日、兵庫県庁薬務課から電話がありました。
「B新聞を読んだという人から連絡が入ったのですが、御社が販売されている「爽美林」について、その販売方法が薬事法に抵触しますので、販売方法を変えてください。」

どこのどなたが連絡されたのか未だに知りませんが、きっと、B新聞を読まれて、面白くなかったんじゃないかなー。あんな記事読んだら、自分でも「コイツかっこうつけやがってー」と思ってしまうかもしれませんしね。きっとうちの会社のことをいろいろ調べて、こんなお客様の声と称して水いぼが治るとか掲載してるのは薬事法違反やんけー!ということになったんでしょう(想像の域は超えませんが)。
中学時代の旧友と違って、直接会って話ができるわけでもないので、理解してもらえるわけもなく。

そういう経緯がありまして、ウェブサイトに掲載されているお客様の声などが薬事法に抵触するという判断で、2011年11月に「爽美林」は一時販売停止措置を受けました。そして商品レビューもすべて削除したうえで、販売再開となりました。
(製造販売自体は問題ないです。効果効能をちらつかせた売り方に問題があったわけで。)

しかし、ネット通販で商品レビューがなければ売れるわけもないので、当然ながら売上は激減しました。

会社の売上に関しては、「爽美林」以外の何かで収益をあげれば補填できるわけですから、自分たちが必死にもがいたらいいんです。

ただ、「爽美林」は水いぼで困っておられる方たちの救世主的な役割だったのに、その困っている人たちに情報を届けられなくなったことは、自分たちがどうもがいても主導権を得ることができないので悔やまれます。

ファンケル時代から悩みのタネだった薬事法。
当時、薬事法のせいでわけのわからない商品名が出来上がり(笑)、お客様から「わかりにくい!」というクレームが入ったりなんてことも。そりゃそうですよねー。薬事法を順守するとわけのわからない広告表現になるので、結局お客様にありのままを伝えられず、お客様の不利益につながります。

なので私は、できることなら薬事法の一部は遵守すべきではないと今でも思っています(笑)
今では立場上遵守しますけどね。

 

■日本の閉塞感

お客様のためを思ってやってきたことではありますが、ルールはルール。
お客様のために動けば動くほど、行政からは厳しい指導をくらうというジレンマ。
実際に、県庁や保健所からは精神的に参るくらい厳しく指導されました。だからそれに従って、お客様にはわかりにくくお伝えしなければならない。

一体何がしたいのか。
一体何を価値基準として生きていけばいいのか。

そんな時、救いとなったのは、多くのお客様からいただいたメッセージです。販売停止でご迷惑をおかけしてしまったので、これはお叱りを受けてしまう!と思っていましたが、いただいたメッセージの9割9分は激励のメッセージでした。
「こんなことでくじけるな!」
「爽美林がないと困ります!早く販売再開されることを願っています!」
「薬事法なんて法改正すべきです!」

それにしても県庁や保健所の対応はきつかったなぁ。
それが仕事なんだろうけど。

余談ですが、その年の冬にとある市内の飲食店が食中毒を起こし、保健所が入り営業停止となり、後日その経営者は自殺してしまいました。亡くなられたその真相はわかりませんが、同じ経営者として、なんとなくわかる気がしました。

また後から気が付きましたが、「お客様のために伝えたいことが伝えられない」ということが非常に大きな閉塞感となって自分の心を蝕んでいました。自分で言うのもなんですが、もともと明るい性格です。おしゃべりでムードメーカーな気がしています。その私が、伝えたいことを伝えられなくなった瞬間から、少しずつ、少しずつ、自分でも気が付かないうちに己の心を締め付けていったようです。時間の経過とともに、前川進介という人間は元来の明るい人間からかけ離れた、ただの閉塞感の塊に成り下がっていきました。

薬事法に限らずですが、今の日本は次から次へとルールが過剰に厳格化しすぎて、それが新たな閉塞感を生んでいると感じています。

例えば昨年、北海道でO-157が検出された浅漬けを食べて被害に遭われた方がいらっしゃいました。それによって、浅漬けのみならず「漬物」と呼ばれるものには塩素消毒を義務付けるという動きが出てきています。アホか、と。そんな塩素どっぷりの漬物なんて食べたくもない。というか、糠漬けに塩素なんて放り込んだら糠の中の乳酸菌まで死んでしまうんですけど・・・。確かにO-157が出てしまった事実はあるでしょうが、それを防ぐ方法は塩素消毒以外にもあるわけです。なのになぜ手段の一つでしかない塩素消毒を一律で義務付けようとするのか。

昔ながらの糠漬けで美味しいお漬物を作っている業者さんからしたら死活問題です。塩素漬けになったら不味いお漬物しか作れなくなって、顧客は離れていくでしょう。お客様のために美味しくて栄養のある漬物を作ろうとしたら行政に厳しく指導を受ける。自分がこれまで信じていた「良いこと」が、厳格化された勝手なルールで「悪いこと」に変わってしまう。作られた「悪いこと」をしないように塩素消毒を徹底した結果、顧客離れは加速し、やがて廃業。従業員を解雇。自身も閉塞感の中で生きる。こんなことだって起こりうるんですよね。一体何が良くて、何が悪かったのか。

他にもあります。

昨年生食用の生レバーが焼肉店で提供することが禁じられました。そもそも生肉というのはリスクが付きもの。それを理解したうえで提供、摂取することの啓蒙と、そもそも食中毒を起こさないような衛生管理の徹底が必要なわけで、生食自体を禁止するなんて、何を考えてるんでしょうか。生レバーを食べる権利は、いずこへ?そんな簡単に食文化を変えてしまうの?

常連客からは「俺が責任を持つから生レバーを出してくれ」と言われる。でも正義感の強い経営者は「いや、法律で禁じられてしまったからそれはできない」と答える。「なんや、融通の利かんやつやな。お前の店にはもう来んわ。」こんなことはザラでしょう。正義感が強ければ強いほど顧客離れを生む可能性があって、経営難になり、閉塞感が生まれる。常連客に懇願されて提供したら提供したで、「もしバレたらどうしよう・・・」という後ろめたさが心を縛る。

生レバー専門店なんてあるのかどうか知りませんが、生レバーの提供を禁じたことで失われた雇用っていうのは、日本のどこかにはあるような気がします。ほんまやったらお客さんの喜ぶ顔を見れたはずやのに・・・。そこから生まれた閉塞感もまたあると思います。下手したら、それがきっかけで失われていく命だってあるかもしれません。生レバーを禁じて助かった命もあれば、生レバーを禁じて失われた命もある(かも)。

あれもダメ、これもダメ。ほんまに顧客のためにやっているのに、なんでもかんでも安易に縛り付けるようなことを行政や組織がしていけば、そこに身を置く人間に閉塞感が生まれて当然です。ルールを作るのであれば、それによる弊害についても真摯に受け止めないと。

ある友人が、貧困にあえぐ国や地域を助けたい、という志を持って世界一周の旅に出ました。そしていろんな国で様々なことを体験して、感じた結果、慌てて日本に帰ってきました。「世界で一番助けを必要としている国は、日本だった」と。

「渡り歩いた諸外国は、物質的には乏しくても人の心は豊でした。だから人も地域も健全だった。それに比べて日本は物質的な豊かさはあるのに、精神的な不健康さが一番ひどい。こんなに自殺者が出るなんて異常ですよ。なんとかしないと。」

国全体が閉塞感に苛まされてるんです。

閉塞感とは、周囲の物質的なものはほぼ関係ない。外部から精神的に制限をかけられることがきっかけで生まれるもの。

一方で外部からの圧力が緩むことはなさそうな日本の情勢だから、その閉塞感から抜け出たければ、自分の物事の捉え方、感じ方を強くしなやかに確立していくしかない。こんな閉塞感を助長するような今の日本だからこそ、今回の経験をいかして、これからいろんな人のお役に立とうと思いました。

一人でも多くの人が、気持ちと行動が一致する人生を送れますように。

 

■世界的視野と、村的視野

人生、転ばないことが大事なのではない、転んでからどう起き上がるかが大事なのだ。

そう自分に言い聞かせ、今後の事業展開を考えました。

どうせならこれまでとは全く異なる事業ドメインを作りたかったので、超俯瞰的にものごとを見つめ直し、今の世界の中の日本の立ち位置から考えてみました。
(宇宙規模で考えても、今のところ宇宙人の交信できないのでそこまでは意味がないかな、と。)

【世界と世界の中の日本】
・アジア、アフリカを中心に今後人口が爆発的に増加する。
・日本は先進国の中で最も少子高齢化が進んでいる。
・日本の食料自給率は先進国の中で最低水準。
・だけど「和食」に代表されるように「食」に関する日本ブランドは強い。
・遺伝子組み換え作物が世界的に出回ろうとしている(というか、もう出回ってる)
・中国人が日本の水源獲得に動いているらしい。
・日本の国債は膨れるばかり。

事実を羅列し、これら事実をこう解釈してみました。

「世界的には人口が増加し、衣食住の需要が増えていく中で、人工的に作り上げ、供給されていく物質は遺伝子組み換え作物に代表されるように身の危険すら感じるものも含まれる。その物質的なクオリティーにおいては今のところ日本に優位性がある。だからアジアをはじめとした世界の富裕層がこぞって日本の衣食住に手を出している。

だけど、その日本は莫大な借金を抱えていて、さらに世界最悪水準の少子高齢化の影響もあって、貨幣経済における日本の将来は暗い。時代背景が変わってきている今、旧態依然なものごとの取り組みを続ける限り、この日本ってダメになるよね。」

ということなのかな、と。
技術や伝統文化が良いのに、借金をこんなに抱えているって、要は「株式会社日本国」は経営がめちゃくちゃ下手ってことなんでしょうか。政治が経営を邪魔するんでしょうか。経営してたらいろんな横やりが飛んできますしね。

話が横に逸れてしまいましたが、以上が世界と世界の中の日本を俯瞰で見た時の自分なりの捉え方です。

次に自社と自社を取り巻く環境まで視点を下げて考えてみました。
まず社長である私ってどんな人?

【前川進介って】
・おもしろいことが好き。奇抜なことも好き。
・そんな悪い人ではない(笑)から、周囲に対して価値あることをしたいと考えている。
・周囲に好かれる人間より、周囲から魅力的だと思われる人間になりたい。
・是々非々。
・自然が好き。

昔から自然が大好きで、山に探検に行ったり、川で泳いだり魚釣りしたり、近所で昆虫採集したり。その自然好きが高じて大学は農学部を選んだし(ろくな勉強はしてませんけど)。

続いて会社を取り巻く環境を見てみました。

【弊社の周囲の環境は?】
・弊社は兵庫県丹波市に本社がある。
・その丹波市は少子高齢化によって生産労働人口が減少しているため、耕作放棄地や放置竹林などの自然環境の保全が困難な状況に陥ってきている。
・弊社はインターネット通販が主なチャネルなので、地域に密着した営業活動はしていない。

 

■「みんなの村」は、世界に誇れる自治の村づくり(になる予定)

自分がやりたいことでメシが食える、というのが経営者の特権。
これは本当にありがたい。
(その分ビビってしまいそうなくらい大きな責任が課せられますが)

自分自身や会社の周囲の環境を見つめた時に、自分の「自然が好き」という特徴を活かして、田舎で問題になっている環境保全につながるような仕事を生業にしてみようと思いました。

そういえば薬事法で刺されたきっかけになったのはB新聞の記事を読んだ地元の方からのご指摘でした。きっと、「たいして地元に根付いた活動をしてへんくせに」というのもあったのかな。であれば、とことん地元へ貢献しちゃる。

それがトップページに記載している事業のコンセプトです。
まとめると、

「現代の日本は、利便性、即時性が追求され、すぐにお金にならない自然は放置され、荒廃していくようになりました。
その一方で、「便利さ」と引き換えに健康を脅かすような化学物質の混ざった衣食住が多く出回るようになってしまい、都市部を中心に暮らしの安全性が揺らいでいます。

そこで、温故知新。
先人たちの知恵を借り、私たちが自然にひと手間を加えることにしました。
このひと手間で、人は自然の恩恵を受けることができ、また自然はその力を最大限に発揮してくれます。自然の力を大いに信じて、様々な社会的課題を解決してゆくコミュニティ、それが『みんなの村』です。」

 

こんなコンセプトを立ててみると、これまで俯瞰で見たときに点在していたコンテンツが線と線で結ばれ始めます。

―日本には膨大な国債がある。

行政からポンと出てくるお金の一部は国債という名の借金です。今自分たちの代で安易に国債を発行し続けると、自分たちの子供や孫の世代までその悪影響を及ぼしてしまいます。だからもう行政に頼りきる時代ではないんです。できるだけ借金をしないように、自分たちでできることは自分たちで解決していく、つまり国民一人ひとりが「自立」しなければならない時代にきているはずなんです。

以前、丹波市の偉い方が私に「私が国からお金を引っ張り出してきてるんだ。そのお金をどう使うかは他の者が考えればいいんだ。」みたいなことをおっしゃったんですが、国に借金させたお金を地方に引っ張ってくるだけでは根本的解決には至らないんですよ。むしろそのお金の使い方を深く議論すべきで。

この田舎の自然環境を保全することだって、だから行政のお金だけで整備するのではなく、そこで暮らす自分たちが主となって処理していかないといけないと思うんです。かと言ってボランティアばかりでは継続できません。そこで、お困りごとである課題を価値あるものに変えながら、そこからお金を生み出すような仕組みを作って事業を継続させる「みんなの村」のような発想がこれからの時代には必要になると思ったのです。

 

―世界の富裕層がこぞって手に入れようとしている日本の衣食住。

世界の富裕層が日本で手に入れたいと思っているのは、利便性を追求したケミカルな衣食住ではないはず。そう、自然ながらの安全安心なもの。もちろんそれは日本で暮らす日本人の方も同じだと思います。もし、政界恐慌が起きて、貨幣が価値をなくしてしまった時に一番強いのは、安全安心な衣食住を持っているヤツらでしょう。そんなヤツらに僕らがなってしまえ、と。
この先何が起こるかわからない。そんなもしもの時でも、田畑には旬の野菜があって、山で鹿や猪を狩猟して抗生物質の無い健全なその肉を喰らい、塩素も含まれていない安全な地下水を汲み上げて生活をする。
本当にイザと言う時にみんなの力になれるのは、その基盤を持っているかどうか。「みんなの村」ではその基盤を作ろうとしています。

 

―日本は先進国の中で最悪水準の少子高齢化

残念ながら今の日本は少子高齢化が進んで、世界でも最悪水準。ある意味、世界の最先端。だって、まだ世界中のどの国も体験したことのないゾーンに突入しているのだから。そしてその日本の中でも中山間の田舎である丹波は少子高齢化が進んでいるわけで。

とすればですよ、ある意味丹波が世界の最先端。この課題に対して丹波で暮らす人間、一人ひとりが本気を出して、「みんなの村」事業のように行政のお金に頼り切らずに、「自立した本当の自治」で町を活性化させれば、その手法は全世界に発信できるはずなんです。

だって第二の日本みたいな国が他にもありますから。
例えば中国。今はすごい勢いで経済成長しているけれど、一人っ子政策の影響で今後一気に生産労働人口が減るはず。さらに一人っ子政策のもう一つの弊害が男女の産み分け。男児の方が多くなってしまったので、これからその年代が子供を作る時、売れ残る男性が増えてくるので、人口の割には出産できる子供の数が少なくなると予測しています。
つまり、中国はすぐに少子高齢化の波が襲ってくる。しかも日本よりも大きな規模で。

その時に、「えーっとね、丹波ではこうやって解決してんで。」って説明できたら世界規模でお役に立てれますよね。

ちなみに「丹波を世界の最先端に」という発想になれたのは、隠岐の島の海士町の皆さんのおかげです。
数年前は人口わずか2000人程度で財政破綻しそうだった島の町が、町長主導で都市部からIターンを招き入れ、経済的にも、また住民の幸福度も見事にV字回復された町です。昨年その海士町を訪れ、町長さんをはじめとして島でご活躍されている方々からお話を伺い、心底尊敬いたしました。まさに日本のタグボート。この海士町の活動には今のところ脱帽で、近い将来には
「海の海士町、山の丹波市。」
と呼ばれるように、自治の双璧を創り上げたいと企んでいます。

 

■終りに

2012年はここに書いたこと以外にもとんでもないことがいくつかありまして、自分自身どうやって生きていくか、そもそも生きていけるのか、心底悩みましたが、そこで深く悩んだ分、後半になってしっかりとした方向性が定まり、大きなうねりとなって急加速度的に動き始めました。暗闇に一筋の光が差し込んできて希望が持てるようになったアニメのワンシーンみたく。

ここからは周囲を巻き込んでどんどん前に進んでいこうと思います。
そういえば、私の名前は前川進介でした。はい、前進あるのみ!

お正月早々に、長々と書きました。
「これを読んだせいで、せっかくの正月特番を見逃したやんけ。」という方、申し訳ございません。まさか最後まで読んでくださるとは(笑)
これからも「村長ブログ」を綴っていきたいと考えているので、もっとコンパクトな文章で表現できるように研磨しようと思います。

今年もよろしくお願いします!

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